公益財団法人 阿部育英基金は、奨学援護を行い社会有用の人材の育成に努めるようとするものである。
創設者 阿部眞之助氏 | |
明治17年 | 3月29日、埼玉県熊谷で生まれる |
明治35年 | 旧制第二高等学校へ入学 |
明治41年 | 東京帝国大学文学部社会学科卒業 |
満州日日新聞社に入社。旅順支局長 | |
明治44年 | 満州日日新聞社退社。4月、真柄さだと結婚 |
明治45年 | 大阪毎日新聞社へ異動 |
大正 3年 | 大阪毎日新聞社、社会部長 |
昭和 3年 | 東京日日新聞社へ異動、整理部長 |
昭和 4年 | 政治部長 |
昭和11年 | 編集総務 |
昭和13年 | 編集局主幹 |
昭和18年 | 東西で異なった題号「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」が「毎日新聞」となる |
昭和19年 | 毎日新聞社退社(顧問に就任) |
昭和22年 | 勅選議員の招請断る。中等教科書出版社長 |
昭和28年 | 日本エッセイストクラブ理事長 |
昭和32年 | 日本放送協会経営委員長 |
昭和35年 | 日本放送協会会長 |
昭和36年 | 国語審議会会長 |
昭和37年 | 選挙制度審議会会長 |
学校法人日本放送協会学園(NHK学園)設立、理事長 | |
昭和39年 | 7月9日午前7時、心筋梗塞のため急逝(80歳) |
大正 9年 | 「犯罪問題」冬夏社 現代社会問題研究 |
昭和 6年 | サンデー毎日の「今週の人」を執筆 |
その後「今週の話題」、「サンデー時評」等と改題され、 昭和35年まで続ける | |
昭和 7年 | 「中野正剛論」「動揺する政局」「新閣僚論」 |
昭和 8年 | 「鈴木、平沼、宇垣」「ルンペン的名士列伝」 |
『非常時十人男 彼等は何をしたか』編 創造社 | |
昭和 9年 | 「第65回議会・曝露戦の効果」「番町会・郷誠之助」「新人物論」日本評論社 |
昭和10年 | 「陸海軍巨頭論」「美濃部問題と岡田内閣」 |
昭和11年 | 「行政機構改革問題」「軍に直言する」「名人印象記」 |
昭和12年 | 「現代世相読本」東京日日新聞発行所 |
昭和13年 | 「言論統制とジャーナリズム」 |
昭和15年 | 「人間と社会」「新生と新人」(ともに三省堂) |
昭和21年 | 「報道は事実」 |
昭和23年 | 「法廷の非科学性」『自由と責任』日東出版社 |
昭和30年 | 「恐妻一代男」(文藝春秋新社) |
昭和31年 | 「現代女傑論」(朋文堂) |
昭和34年 | 「阿部眞之助集」(日本書房)出版 |
昭和39年 | 東京新聞の「放射線」(絶筆) |
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